バイロンベイのコミュニティマガジン、PARADISO にインタビューをしてもらったのを
きっかけに、森の中のタイニーハウスの暮らしについて、振り返ってみることにした。

私を昔から知っている人は、この森での暮らしがとっても「っぽい」
ってわかってくれると思います。

思い起こせば、10年前、2009年に脱東京を掲げて、
当時の会社仲間と借りた千葉県いすみ市の森の中の、greenz 森の家

この家から見える田んぼが大好きだった。

そこから、東日本大震災が起きて、離婚も経験して都心のマイホームをでて(笑)、
ほんとうに、もう、大都会には住めないと思って、自分なりに、地に足のついた暮らし、
自然ともっと身近にある暮らしを描いて、この森の家へ本格移住
したことから
はじまった新しい人生。

国際環境NGOで海の保全事業に務める傍、東京へは週1回JWAVEラジオのお仕事でいったり、
千葉の森を拠点にしながら、いろんなことをやっていたなあ。

ほとんど知り合いのいない田舎に引っ込んで、孤独になって、刺激がなくなるかと思いきや、国内外から
面白い人たちが代わる代わる尋ねてきてくれました。

宿泊体験ツアーをやったり、世界中から旅人をホームステイで受け入れて
マクロビオティックのご飯を振舞ったり、バイロンからもVOUCH SURFのボーイズたちや

フィルムメーカーのNATHAN OLDFIELDや、


いろんなご縁で、めちゃくちゃセンスの良い、SURF SHACKSの本にまで紹介してもらったり、

オンラインの記事はこちらから

パーティーを開けばDJがきて、美味しいご飯が食べられる場所として
たくさんの人が集ってくれた。いつの間にか、ホームと呼べる
愛おしい大切な場所ができた。

  

5年前、日本を離れてバイロンベイに移住する際、何が一番つらかったかって、、この森の家とお別れするのはとっても辛かった。
生きる上でほんとうに必要なもの、大切なことを教えてくれた森の家。

自分が歩みたい人生を夢みて、でも、あれこれ相当模索していた当時に
記したブログの記事で我ながらいいことを書いていたので、再投稿。

これ、いまでも私の原点だし、
あの頃も、いまも、掲げている暮らしのあり方は変わらない。
まあ、問題はそこからちゃんと有言実行、成長したかってことですけども。

あらゆるモノや情報がものすごいスピードで流れ、消費され、ちょっと気を抜くと、キャッチアップするのにもう必死。もちろん効率性だとかスピードだとか、都会を生き抜くうえで必要なスキルではあるけれど、本当にサバイバビリティの強い人間というのは、自分にとって必要なモノ、コトは何かを見極める感覚と感性をもっていて、且つ作り出せる人なんじゃないかと思います。これは、まさに、私がオーストラリアのゆかりさんとの出会いで一番強く感じたことでした。どんなにお金持ちでも、どんなに立派な家に住んで高価で高性能なモノに囲まれた暮らしをしていても、自分で作れない、治せないモノのは、脆弱です。「自分で作れないモノは、そもそも自分の生活圏内に持ち込まないようにしているし、ソトの世界で何か起きたとしても、自分と自分の大切な人が3ヶ月は生きることのできる食糧や電気といったライフラインはある」と言っていたゆかりさんの言葉がいまでも忘れられません。電気は、水は、食べるものはどこから来てどこへ行き、どうやって循環していくのか。自分で作る知恵も技術も、道具ももっている。能書きを垂れるよりまずは行動を。そんな人たちが一番生命力に溢れ、力強く、まぶしいぐらいに、イキイキとしている、と身をもって経験したのオーストラリアの旅。その原体験が時を経ても原点であり、人生のターニングポイントだった気がします。

ひるがえって、現代の都市生活は「砂上の楼閣」。様々なものが当たり前のように提供されていて、「誰かがやってくれている」という感覚が当たり前になっています。サステナブルな暮らしがしたい!と思っていても、まだまだその目標には程遠く、掲げている理想と現実のギャップがもどかしい。それでも、自然の中に居場所があって、自然とのかかわりを通して五感が研ぎ澄まされると、人間が本能的にもっている「生きる力」や眠っている「野生の感覚」が目覚めてきます。いつでも頼れる、何かあっても生き延びられる(と感じられる)、心のセイフティネットのような場所、しっかり自分の根をグラウンディングできるような居場所があれば、きっとみんな豊かに、力強く、優しく生きられると思います。

そんな暮らしを夢見て、はじめてバイロンベイを訪れたのは、2011年。
パーマカルチャーのコースとヨガのティーチャートレーニング受講(&サーフホリデー)
のため、3ヶ月の滞在。その際、ステイしたバイロンのおうちが、
いま住む、森のコミュニティ

インターネットもない、携帯の電波もつながらない、車もない、
当時、この環境で、ただただ自然のリズムにまかせて
読書したり、ヨガしたり、瞑想したり。
誰とも会話しない日々も続いて、孤独を感じるよりも、
忘れていたシンプルな贅沢を味わい、生きる力に満ち溢れていた気がする。

ほんのわずかの時間でも、現代社会との隔離、
無駄なノイズのない世界での暮らしの原体験があったからこそ、いまの私がある。
自分と向き合った時間は、いまでも大切な思い出。

それが、まさか、7年経って、この土地でまた再び暮らせるとは。
導かれたような気がしてならない。

私たちが暮らすのは、バイロンベイの中心部から車で10分ぐらい南下した
ブロークンヘッドビーチの近く。7世帯が住む100エーカーの土地に
建てた友達の家の敷地にあるキャラバンに同棲中。

野生のコアラやカンガルーが出迎えてくれます。

          

もともと彼が住んでいたところに、私が家が見つからなくて、
居候するようになって、そのまま流れで住み込んで、早1年半。
最初は、こんな狭いスペースで共同生活なんて無理〜〜と
思っていたけど、住めば都。快適だし、大自然の森の中での暮らしは
身も心も休まります。

夜は、満天の星空や月明かりの中で眠りにつき、
朝は、鳥たちの声や森のざわめきで目覚める。

ドアを開ければ、そこは大地。
物心ついた頃から、いつかは内と外の境界がない、
裸足ですぐ外に飛び出せるような、そんな場所に住みたい、
とぼんやり思っていたっけ。

自然に囲まれていると、何がほしいか、っていう足し算の暮らしじゃなくて
何がいらないか、という引き算のシンプルな暮らしになっていきます。

暮らしに本当に必要なモノって実はものすごく少なくて、足るを知る。
無いモノをねだるより、あるモノで工夫したり、
自分で作ってみたり、リサイクル品を安くかってみたり。
モノに違う楽しみを見いだしりするとモノに対しての執着心がなくなる。

新しくアレが欲しいとか、これが欲しいとか物欲がなくなると、
その分、精神的なゆとりとか時間的な余裕、空間的な自由、物理的な身軽さが
うまれて、ひとつひとつのことが研ぎすまされて
自分にとって、魂にとって心地いい暮らしが
できていくはず。

ガーデンハウスウェディングをやった際はこんな感じ。

とはいえ、物理的なスペースの狭さは窮屈でめちゃくちゃ不便に感じることもある。
特に、今年になって降った記録的な大雨の際は、雨漏りはするし、
屋根(ほぼトタン)に響く豪雨と暴風で揺れるキャラバンで
眠れない日々も続いた。
ちなみに、2週間で断続的に500ミリぐらい降って
すでに去年の年間降雨量を超えちゃったぐらいの雨が降った!!

そんな時、困るのがトイレやお風呂。
コンポストトイレはあるものの、思いっきり森の中(屋根付き)
なので、蛇が大の苦手の私は、100メートル離れた母屋のトイレを
使うけど、雨の日は歩いていくのも億劫だし。
まあ、おしっこの際は、野ションですけど、きほん。

ちなみに母屋は開放的なデッキが超きもちいいゴージャスなおうち。

こんな家に住めたらーと思うけど、家賃が高すぎて無理ー。

シャワーもアウトドアーシャワーを廃材を拾ってきて自分たちで作ってからは
夏の暑い日はこれで十分だけど、雨続きだと
太陽温熱発電のシャワーなのでお湯がない。
電気のスイッチに切り替えれば熱湯もでるけど、電気代もかさむので、
節約兼ねて冬場とか汗かかなかった日はシャワーを省く(笑)

 

ヨガにいけば、スタジオのシャワーで代用することも多いけど、
昨年は水不足も深刻だったし、蛇口をひねればいつでも熱いお湯や
水が勢い良く、あたりまえのように、でる、という暮らしとは遠い。

でも、水やエネルギーの使用には気をつけるし、
成せば成る的な感じでサバイバル力が増すし、
できるだけ環境負荷のないモノを選んだり、使う。

室内はミニマムだし、電化製品といえば小さな冷蔵庫、ケトル、
備え付けのラジオだけ。だから電気代も格安。窓をあければ自然の風が吹き込むので冷房いらず。
扇風機をつかったのもこの夏、数日だけ。

キッチンもコンパクトだけど、二人で毎晩のように一緒に料理もできるぐらいの
スペースはあるし、友達をご飯にも呼べる。

彼のビンテージのお宝もの、掘り出し物以外も含めて、
ほぼリサイクルショップでの中古品だから
インテリアもコストがあまりかかっていません。

 

この石像の子たち以外は。。彼の趣味です。

もちろん、二人とも、この室内に収まりきらないものもあるので、
それば、お互い別のストレージを他の場所に借りていて、そこに保管。
でも日常的に使わないから、キャラバンの中にはなくて大丈夫だし、
狭くてものが多いとごちゃごちゃしちゃうので、なるべく
ミニマル、シンプルがモットー。断捨離も定期的に行ってます。

こちらは、第二のキャラバン。毎日使わない、着ない服などを収納。
いまは物置だけど、いつかはリノベーションして、こやつをひっぱって旅に出たい。

いつかはフツーの家に暮らす日が来ると思うけど、
バイロンの高額な家賃市場と圧倒的な住宅不足を考えると、
当面は、この森暮らしで十分。

暮らしのあり方も、幸せの価値観も人それぞれ。
暮らしやライフスタイルも多様化している時代に
モノやお金に振り回されるのではなく、
見た目は少なくて、シンプルでも、そのほうが実は
豊かで、精神的に満たされている事が多い。

LESS IS MORE
モノが少ないと
自由な時間が増える。
自由な思考力が高まる。

東京で35年の不動産ローンを抱えて、サラリーマン生活をしていた頃と比べて、
こんなにも人生は一変、自分が望めば、人生は、環境は、変えられる。

あとは食料を自給できる畑があれば最高なんだけど、
それは今後の目標、課題。