とある晩のこと。
仕事を終えてハウスメイトの千春ちゃんに
『いまから帰るね」とメールしたら

「シメたての鶏ありますよー」と返信。

そう、最近チマタで人気急上昇中のトサツガール千春(笑)と
私の間では、もはや日常会話。


1月のgreen drinks BOSOで実施した鶏のと殺ワークショップで講師の大役を見事こなしたちーちゃん

千春ちゃんの解体日記はぜひ読んで頂きたい。
「いのちを頂く」とはどういうことか。
ただし、写真がぐろいのでご注意。

イノシシを解体してきたよ。
http://chiharuh.jp/?p=929

普通の女子が鶏をしめて、お雑煮にしたお話。
http://chiharuh.jp/?p=1034

この日は、我が家から歩いて数分のところに、平飼いで鶏を
育てている有機農家の棚腹さんから頂いた鶏が食卓にのぼった。
*棚腹さんの卵はちょっと高いのだけど、ほんとーにおいしー!


FARM CAMPUS
の仲間も呼んで、みんなで羽をむしり

全てを余すところなく、できあがった料理は、
内蔵とジャガイモのグリル、手羽先とモモ肉のハーブグリル!

食べた感想は、フツーのチキンの柔らかさはなくて、
平飼いだからか筋肉質で身がしまっていて、噛みごたえがある。
噛んでいるとあごが疲れるぐらい。だから、いっぱいは食べられない。

ちなみに、ゲージ飼いされている鶏は、首だけがでていて
餌をつっつき(よくみる光景)、一生(出荷されるまで)に
動く(動ける)面責はたった、A4 一枚の大きさ程度。
つまり筋肉がほとんど発達しないから身が柔らかいんだとか。

鶏がらのダシもちゃんととって、ストック用に。

羽も乾かして、アクセサリーにするそう。

締めたての鶏が食卓にあるということ。

狩りにでも行ってきたかのような、だいぶワイルドな食生活に
聞こえるけど(笑)、スーパーで売られて、みんなの食卓に並ぶチキンも
誰かが、どこかで、日常的にやっていること。
自分で締めることは、何も特別なことじゃない。
たぶん、田舎にいけばいまでもやっていて、
一昔前はやっていたことなんだろうなー。

生きるためには食べることが必要。
食べることは、つまり、いのちをいただくこと。
人間は「食われる」側ではなく、「食う」側になっていて
あらゆるモノを選択して「食う」ことができる。
だからこそ、いのちのつながりを知っていると知らないとでは、
大きな違いがあると思う。

こうして、ひとつひとつを自分の手でやってみると、いかに大変で
もともとお肉は食べないけど(やっているうちに大体おなかいっぱいに
なってしまうけど)、自分が食べるべき適量を知る。

昔は焼き肉食べ放題とかもいっていたけど...お肉ってさばくのも、
食べるのも、消化するのも、ものすごいエネルギーを使う。

「足るを知る」ってこういうことだなあと。

いのちを頂くということをこんなに身近に、日常の暮らしのなかで
経験できるのも、棚腹さんのようなご近所さんとのつながりあってこそ。
そして、こうした体験をわかちあえる仲間がいることも、ほんとうに
恵まれていると思う。

1月のgreen drinks BOSOでは、鶏のと殺ワークショップがテーマ。
食育とはまさにこのこと。子どもたちも興味津々!

さっきまで元気に走り回っていた鶏をしめて、さばいて、調理して
最終的に料理として、みんなのおなかにはいっていく。

大人たちが
「あーー緊張するー」
「あーー気持ち悪い」と
尻込みするところも
子どもたちは、ちゃんと冷静に、じっくりと生き物が
解体されて、鶏肉になる過程を真剣にみている。とってもたくましかったなあ。

と殺ワークショップでパワーアップした千春ちゃんの今後の活躍にこうご期待!