この地をはじめて訪れたのは2006年4月。
絶対また来ることになる。そう確信して
アツイ決意を胸に日本へ帰国した。
あれから4年。
あのときよりちょっと成長した自分を伝えたくて
自分の原点の場所へもどってきた。
私の妄想ともいえるビジョンとインスピレーション、
すべてはここからはじまった。
ベランダからの眺め
いまの自分があるのは、ここで人生観をがらっとかえられちゃった
衝撃的な体験と出会いがあったからです。
人生の師匠、ゆかりさんとの思い出は、彼女がなくなった
2009年夏にブログで書いたけど、やっと会いにくることができた。
といっても彼女はもういないのだけど。
2006年4月。三男ファビアン(当時2歳)を抱えて
本当は、もっと早く、
できることなら、もっと一緒に
いろんなことを話したかったのだけど、
それは叶わぬ夢になってしまった。
それでも、4年という歳月を経て
こうして、いまこのタイミングでここに戻ってこれたことは
きっとこれからの人生で大きな意味をもつのだと思う。
バイロンからバスでブリズベンにきて
電車で1時間半、ユードロの小さな駅についた。
旦那さんのアルノーが迎えにきてくれた。
4年ぶりの再会。私と長男ステファンが同じ誕生日で
前回の滞在時に一緒に誕生パーティーをやってもらったから
覚えていてくれた。最愛の人を失って、いまだ精神的には
落ち着いていないらしいが、思ったより元気そうだった。
家に到着して、まずゆかりさんにお線香をあげた。
お花がきれいに飾られたテーブルの上に、笑っているゆかりさんの写真があった。
手をあわせて、目をつむって、ようやく会いに来る事ができたこと、
いままでの自分の人生、これからの自分の生き方、をゆっくり報告すると
『おかえり。まっていたよ。広美ちゃんはそのままでいいんだよ。』と
ゆかりさんの言葉が聞こえた気がして、涙がこぼれた。
少し遠回りして、いろいろ空回りしていた4年間のように感じたけど、
なんだか報われた気がした。
3人の子どもたちも辛いときを乗り越え、
大きく元気に成長していました。
2006年時。団子三兄弟
しっかり者で成績優秀、ピアノやギターの音楽センスも抜群、長男ステファン(16歳)、
いつもひょうきんでいたずらっこ、最近学校の親善大使に任命された
みんなの人気者、次男ジュジュ(12歳)
のんびり、マイペース。天真爛漫な末っ子、ファビアン(4歳)
子どもたちが学校に行っている間、
私はフランス人ウーファー、モッドとガーデンの整備。
モッドはフランスのリヨン市出身。
ビジネスコンサルタントの仕事をやめ
昨年の12月にオーストラリアにきて、1年間国内を旅する予定だという。
スポーツが大好きで、料理好き、働き者で、しっかりもの。
すっかり意気投合し、見事なチームワークで
毎食の献立もバリエーション豊か。フレンチ流の
キッシュやパスタを手際よく作ってくれ、ショコラムースや
レモンタルトなど、デザートも絶品でした。
子どもたちも手作りスイーツには大興奮。
マクロビオティック料理研究家でもあったゆかりさんが蓄えていた
数々のマクロビ調味料が豊富にあって、子どもたちも大好きな日本食を
つくることができました。
ウーファーがよく訪れるこの家の子どもたちは
人見知りせず、とっても社交的でおしゃべり好き。
しかもみなハンサムで将来が楽しみ(笑)!
ゆかりさんが亡くなってからと
いうもの、旦那さんのアルノーは3人の育ち盛りの男の子たちを
男手一人で育てています。毎日のご飯作りはもちろんのこと、学校の送り迎え、
家事、掃除・・・、それだけでも大変な作業なので、当然ガーデンは後回しに。
くわえて、この夏のオーストラリアは、ブリスベンの洪水やサイクロンの被害
から想像されるように異常気象。シャノンにいたときも
どしゃぶりの雨がよく降ったけど、ここにきてからも
数日間とにかく雨がよく降っていました。
カンカン照りよりは雨だとガーデン仕事にはちょうどいいけど、
雑草がものすごい勢いで成長し、ガーデンベッドの枠が埋もれるほど、
雑草が至る所を覆い尽くしていました。
私たちの課題は、まず家の近く(ゾーン1)の整備。
あまりよく見えませんが、この雑草の中に、パッションフルーツが。ビフォー
そして雑草を抜いたアフター
6つあるガーデンベッドもすべて雑草に覆われていたので
まずは、雑草抜き。でも土自体は、ほどよく湿っていて、
ふっくら柔らかく、黒々とした完熟堆肥。
もとの質がいいので、そこにさらに、cow manure(牛糞), organic lifter
soil conditioner (栄養剤の役割) minerals, seaweed liquid, biodynamic juice,
(液肥)などを土にまぜて、新聞紙と刈草(サトウキビ)を上に引けば
何でもあっという間に育ちます。
毎日、朝食のあと9時頃から3時間程度ガーデン仕事をやりますが、
お日様がでているときは、もう10時過ぎには暑く暑くてくらっときます。
元は空だった手前のタンク。いまでは雑草の山に!これを堆肥化
汗だくになったあとは、プールへダイブ!
そして、ジャクジーでリラックス。露天風呂気分です。
どうです。この眺め。最高でしょ。
ウーファーたちが寝泊まりするコテージは母屋とは別で
お互いのプライバシーも尊重されています。
手前が私たちのコテージ。奥が母屋
母屋は、クイーンズランドの亜熱帯気候にあわせ、夏は涼しく
冬は暖かい、高床式の木造住宅。
ベランダからの眺めも最高です。
ヨガしたり、昼寝したり、瞑想したり、読書したり。
ゆかりさんが亡くなって、デジャーデン一家の試練や苦悩たるや
計り知れないものがあるけど、旦那さんのアルノーは自分でもいっていましたが、
最近ようやく前向きに元気になってきたというし、男4人、支え合って
仲良く暮らしていることに安心しました。
最初は、ここにくる事を躊躇して遠慮していましたが、
アルノーにメールを送ったら、暖かく迎え入れてくれたので
ホッとしました。
アルノーはモーリシャス島出身で、英語、フランス語と日本語
(日常会話程度の関西弁。ダジェレ好き)がはなせます。
英語教師、ミュージシャン、イベントプロデューサー牧師(無宗教)
と多彩な顔をもち、いまは時間の融通がきく牧師の仕事がメイン。
主な収入時は結婚式。結婚式の立ち会いや結婚証明書の作成などを
行っていますが最近までは仕事も気乗りせず、人に会うのも控えていたそうです。
そして、基本的には子どもたちが中心のライフスタイルだから
自分が自由に使える時間は制限されてしまいます。
経済的には楽ではないものの、自分の敷地内にセルフビルドの家が
2軒あって、それを他人に賃しているため、その家賃収入が家計の支えに
なっているそうです。
自分で家を建てられるっていいなあ
幸い住宅ローンや高い学費の支払いもなく
食費はユードロのご近所さんやコミュニティで良質なオーガニック食品が
安価で手に入り、野菜やフルーツは少しは自給できているため
シンプルな暮らしをしていればそれほど出費はかさまないですからね。
休日は、みんなでビーチへいったり。
一番近いビーチは車で20分のMooloolaba.
オープンカフェやコンドミニアムが立ち並ぶこの街は
なかなかセンスのよいリゾートタウンです。
夜9時でもビーチにはたくさんの人。
オーストラリアのビーチカルチャーって最高ですよね
ゆかりさんがいたころは、パーマカルチャーを志す日本人ウーファーにとって
ここはmust visit のような場所であり、多くの人にとって
懐かしさと神々しさと感じるような、桃源郷のような場所だったと思います。
それはゆかりさんのエネルギーそのものであり、彼女の生きた証が
ここには、いまも、確かに息づいています。
しかし、いまでは訪れる日本人はめっきり減ってしまい
アルノーも寂しがっていました。子どもたちにとっても
日本人ウーファーがくると日本語を話すいい機会になるので
ご興味のある方、ぜひ連絡してみてください。
アルノー、ステファン、ジュジュ、ファビアン、
再会できて嬉しかったよ。
また遊びにくるね!