年始のブログでオミクロン旋風について書いた時は、絶対、自分はコロナにかからない!と思っていた。
人混みは極力避けていたし、手洗い、消毒、うがいは欠かさず、レモン君のお兄さんでナチュロパスのデイブに処方してもらったホメオパシーもコロナが始まった2年ぐらい前から常時摂取していたし、免疫力をあげるサプリもとり、運動も欠かさず、というかなり健康体であったにもかかわらず、コロ助は、不意に、いきなり、やってきました。
いまだに、どこで、誰からもらったかは不明ですが、職場の子たちがもう2人同時にダウンしたので、おそらく職場での何らかの接触からの感染でしょう。金曜日出勤して、お休みの土日は前兆もなく、元気にサーフィンしてたほどなんだけど。
それが、月曜の朝起きたら、なんだか喉が痛い。。。あまり眠れなかったせいかな?ぐらいに思っていたけど、なんだか頭も痛いし、関節や体の節々hが痛い。4年前にかかったインフルエンザの症状に似てる。。。
午前中用事を済ませた後には、もうだるくて、熱も37.5まで上がってる。それが夜には38度まで上がった。
これはさすがにおかしいと思って、翌日火曜日にはPCR検査を受けるも、コロナだろうという確信があった。この体の異常は明らかに今まで味わったことのない感覚だし、自分の体のことはよくわかっている。
予感的中、見事、陽性で、自宅隔離1週間決定〜。
最初の2日間は熱も38.7度まで上がったけど、それ以降は、平熱並み。あらゆるサプリを飲みまくって、とにかく療養(&Netflixを見まくる。ちなみに1番のヒットは、ドラえもんの劇場版!超泣ける!!!)の1週間。レモン君はシドニーに里帰りしていたので、代わる代わる友達がご飯を届けてくれたり、様子を見に来てくれたり。
症状は軽くなったものの、とにかくだるくて10日間はほぼソファーの上でゴロゴロする日々。頭もぼーっとするし、何をするにも息が浅くて、体力もない。すっかりダメ人間、役立たずになった気分で、精神的にも落ち込んだ。おまけにずっと雨でさらに気分が滅入る。
やっと晴れて、隔離も終わって、体調も少しよくなってきたから、「よーし、リハビリにサーフィン!』と思って、意気揚々と行くも、パドルするのもゼーハーゼーハー、立ち上がる腕力も脚力もすっかり衰え、無念、惨敗。
結局、空咳も3週間ぐらい続き、本当に復活したー!と思えたのは1ヶ月近く経ってから。
今では、ヨガも、ピラティスも、サーフィンも問題なくできる体力は戻ったので、巷で言われているコロナの後遺症は今のところなさそうなので、ひと安心です。
そんなこんなで、2月の真夏は太陽に浴びることも少なく、すっかり色白、インドア派になってしまい、ここから先の2022年は上昇あるのみ!と思っていた矢先に、また悲劇が襲いました。
2月28日から3月1日の未明にかけて、オーストラリア南東部のニューサウスウェールズ州及びクイーンズランド州では、記録的な雨が降り続き(24時間に700ミリ!)、複数の水路で堤防が決壊、多くの町が冠水し、住民は高台への避難を余儀なくされました。
大雨によって高速道路のみならず、多くの道が閉鎖されたり、土砂崩れによって通行止めとなり、物流も途絶え、スーパーの食料棚は空っぽ、ガソリンも買えず、およそ2万世帯にわたって、携帯の電波やインターネットも1週間近く途切れました。陸路のアクセスが遮断されて孤立した多くの町では、市民ボランティアによる懸命な救出、支援活動が続きました。
避難所にはボランティアによる手書きのノーティスボード。寄付を募集しているもの、足りているものなどが明記されています。
幸い、私は無事で我が家も無被害でしたが、多くの友だち、大好きなコミュニティのメンバーが全てを失いました。家や家具、思い出の品々、車は泥にまみれ、水に流されてしまいました。日本人の方でも被災された方もいます。
悲惨な状況ながらも、今回の洪水で目の当たりにしたのは、被害の深刻さもそうですが、リカバリーにいち早く転じたコミュニティ力でした。洪水が起きてすぐに、行動を起こしたのは、政府や自衛隊ではなく、コミュニティの一人一人。コミュニティがコミュニティのために結束し、お互いを気遣い、敬い、助け合う姿には絶望的な状況の中、希望の光が見えました。
私が住むノーザンリバーズと呼ばれる地域は、コミュニティ力に見せられて移住する人が多いぐらい、結束の強いコミュニティがあります。私も、ここに移住した理由の一つに、コミュニティがあります。本当にたくさんの人たちが、いろんな助けを差し伸べ、物資の提供から、金銭的な援助、メンタルのサポート、など多岐に渡っています。
ある人は、ごはんを作って被災地へ届けたり、自家用のボートやヘリコプターまでを導入して救援物資を運んだり、土砂崩れのあった民家の人命救助、捜索活動には徒歩で何時間もかけて山入りする人もいたり。
あるいは、泥まみれの服を洗濯したくても電気も通っていない、洗濯機がない状況の人たちのために洗濯代行をしたり。
私もボランティアとして、通っているヨガスタジオの仲間と一緒に泥まみれになった家々のお掃除をしたり、被災者やボランティアセンターへご飯を作ったり、と自分にできることを微力ながらやらせてもらいました。
目の前に立ちはだかる大量の泥や捨てざるを得ない家財道具たち。どこから手をつけていいのか分からないほど、掃除だけでも気が遠くなりますが、片付けが終わっても生活の再建には、まだまだ時間がかかります。
そこで、動いたのは、またもやコミュニティの様々な団体、ビジネス、個人。たくさんのファンドレイズが立ち上がりました。
もし自分は被害がなくて、無事だったら、災害が起きた時にまず思うのは、助けを必要としている人たちに大して、どうやったら貢献できるかな、自分には何ができるかな、ということだと思うんです。
個人的には、できることなら、顔の見える支援、個人とつながりの持てる長期的な支援がしたい。大きな組織ではなく、現地現場で頑張っている草の根で活動する人たちへの直接的な支援に貢献したい。
SNSでもシェアしましたが、同郷の身として、被災された日本人へ募金させていただきました。以下に紹介します。
<えみこさん>
日本人コミュニティのお母さん的存在である、お寿司のえみこさん。1980年頃から、バイロンベイで日本人として初めてマーケットでお寿司と天ぷらを販売し始めたパイオニアでもあります。創業なんと40年!。今回の洪水で彼女の家は土砂災害に遭い、家も2年前にリノべしたばかりいうキッチンも今回の洪水で全壊してしまいました。3日間の間、彼女は一人で電気も水も、ガスも、携帯の電波もないまま過ごし、ようやく友人によって救出されました、奇跡的にも怪我はなく、今はで友人宅に避難し、再建に向けて忙しく動き回っているとのことです。
恵美子さんのトレードマークでもある赤いバンダナと赤いのれんの寿司版は、多くのファンがいると思います。いつも太陽の明るい恵美子さんにお世話になった人も多いのでないでしょうか。そんな恵美子さんにまつわる逸話はいくつかありますが、一つは、こちらでは、いなり寿司のことを、豆腐ポケットを呼びますが、その名付け親は恵美子さんだとか。
日本人でバイロンに移住するひとなど、ほとんどいなかった19070年代、1ドル360円という時代から、地域に根づいて、何十年もオーストラリアで生きてらして、美味しいお寿司と天ぷらおをずっと提供してきたえみこさんのお人柄と生き様は、尊敬という言葉では現しきれないぐらい、すごいとしか言いようがありません。
<えつこさん>
https://readyfor.jp/projects/90267
堤防が決壊し、14.5メートルまで浸水し、被害の大きかったリズモア地区に住む Etsuko Takigawa Taylor さん家族への直接支援です。こちらは、日本にいる彼女の友人が立ち上げてくれた物資支援活動です。
彼女は、徐々に仕事復帰をしているものの、旦那さんの職場は川沿いだったため、再開までには半年から1年かかるそうです。現在は、自宅の庭にキャラバンを置いて仮住まい、立て直すにも、建材不足、業者不足などで、復興にはだいぶ時間がかかりそうです。
<こうじ君>
青森八戸出身のサーファー、 沼田 こうじくん。建築家とジェントルメンというラーメン屋という2足の草鞋を履く彼とその家族は3週間前に引っ越しを完了して落ち着いた矢先の洪水でした。いつも陽気で爽やかなこうじくん、応援したいです。
災害後も、しばらく低気圧が停滞し、雨はずっと降り続け、集団的トラウマとショックがのしかかり、人々のメンタルもフィジカルも相当弱ってきていて、街全体の気運もダークな感じがずっと漂っていました。
そして1ヶ月経って、少し日常が戻ってきたかなと思った途端、2度目の大洪水が起こりました。
まだ完全に水が掃けていない、乾き切っていない地域も多く、ダムや川の水位もすでに再び決壊寸前。
2度目の災害は、前回襲った地域の他に、バイロンベイの中心部およびその近郊の住宅街も浸水。
その夜は、あまりの豪雨の音になかなか寝付けず、怖くて、夜中1時に目が覚めたら、我が家も浸水、5cmほど家の中に水が溜まっていて、めちゃくちゃ焦って、パニック状態に。
レモン君もまだシドニーだったし、外はものすごい爆音の雨だし、壁の方から家の中に徐々に水が入ってくる様子を目の当たりにして、最悪のケースを想像しては、かなりビビりました。
気を取り直しして、(同じ敷地内に住む)大家さんに電話したら速攻タオルを何枚も持って駆けつけてきてくれて、4人がかりで深夜に水浸しになった床をせっせとふき、、床に置いてあるラグや家具を水から上げるのを手伝ってくれて、雨の勢いも峠は越えたようで、浸水も止まったよう。。。
家具やラグも床から上げて、ひとまず被害は最小限に抑えられたようで、3時半にベッドに入ったものの、自分におきた出来事のショックと1ヶ月前の洪水の悲惨さを目の当たりにした時のトラウマが重なったのか、恐ろしい悪夢を何度も見て、泣きながら朝目覚めた。
起きてしばらくは某然としていたけども、一夜過ぎて、幸いなことに、本当に被害はほとんどなく、電気も水もガスも普通に通っていたし、まるで何ごともなかったかのように、太陽まで顔を出してきた。
一体、昨夜のパニックはなんだったんだろうか(笑)
でも、こうして、自分の家にいられて、無事でいられることに、改めて感謝。
もし、あの雨の中、真っ暗の闇の深夜に家の屋根まで水がきたら。。。
住む家もなく、仮住まいを転々とし、心落ち着かない人々に、1日も早く平和な日常が戻ることを願ってやみません。