真夏の年末年始、いまだに違和感ありますが、
長いこと雨もふらず、乾燥した日照りが続き、
オーストラリア各地、特にNSW州では深刻な山火事が続いており
その被害は甚大です。

山火事で被災された皆様にお悔やみ、お見舞い申し上げます。
最前線で消火活動を行っている方々には、言葉に表せないほどの感謝を
お伝え申し上げます。

日本でも報道されはじめたのでご存知の方も多いかもしれませんが、
これまでに

消失面積が北海道と岩手県の面積の合計より少し広い10万km2に到達
25人がすでに死亡
シドニー大学の推計によると野生動物4.8億頭が犠牲。
同地域を生息地とするコアラも生息数の約30%に相当する8,000頭が死亡
家屋もニューサウスウェールズ州だけで1,500棟以上が焼失

とされています。

山火事と地球温暖化の関連性を完全否定するオーストラリア政府ですが、
対応が後手に回ったことや、気候変動対策への
後ろ向きな姿勢から同国内での批判の声も高まっています。
そうした時に犠牲になるのは動物たちや一般市民たち。

悲惨な状況の中、各ボランティア団体や個人が募金活動、
支援活動をはじめ、市民の意識の高さ、社会の改革を求め、
アクションを起こす姿は希望の光です。

幸い、ここ数日でようやくまとまった雨が降り始めたので一刻も早い沈静化を
祈ります。

こちらの記事がよくまとまっていて、日本からの支援、寄付ができますので
よかったらぜひ!

さて、私は、ありがたいことに、一年で一番忙しいであろう年末年始に
奇跡的に1週間休暇をもらい、彼のいるシドニーで年末年始を迎えました。

昨年11月にお義母さんが肺炎にかかって入院したのを機に、
しばらくは自宅で介護が必要で、彼は看病に里帰りしています。
容態はだいぶよくなったのですが、なんせ高齢(82歳)なもんで、
いろいろ気も弱り、独り暮らしのため、何かと身の回りの世話を
してくれる人&精神的な支えが必要なのです。

私もこの2ヶ月の間に2回シドニーまで飛びました。
お義母さんも大変だけど、看病する彼も辛そうで、
こんなとき、どういう言葉をかけていいのかわからないものです。
私の両親は日本で健在だけども、いつかは訪れる別れ。
自分が産まれた瞬間から当たり前のようにいて、
私を育ててくれた、偉大な存在である両親。

昨年4年ぶりに日本に帰った際に、昔のように、堂々としていて
凛々しいた面影も薄れ、だいぶ小さくなって、老けた両親をみて胸が痛くなった。
幸い大病もしておらず、母親に至ってはいまだにテニスのコーチをしているほどで
元気いっぱいだけど、遠く離れている分、心配です。

年明けにはFACETIMEして、正月の挨拶。
毎年高齢で兄家族と山中湖のリゾートで休暇中のタイミング。
富士山も画面越しに拝めて、日本の正月って感じがしたなあ。
まずは、みんな元気そうで何より。

私は、昨年は、特にビザのことで落ち着かず、モヤモヤした日々を過ごしました。
こちらのブログでも書いたように、オーストラリアに来て、シェフの資格を取得してから
自力で永住権を取ろうと思って、頑張ってきました。

でも、ビザに関しては、思い通りにいかない&ハードルの連続が常のこの国。
みーーーーーんな苦労してます。

私が狙っていた、卒業生ビザからの独立技術永住権189までの道のりは
とっても険しく、独立技術永住権189に必要なポイントと職務経験年数(時間数)が
非常にタイトということが最大のハードルとなりました。

簡単にいうと、永住権申請にあたっては3段階あって、

ステップ1:永住権を申請したいです、というアピール(EXPRESSION OF INTEREST )を
オンラインでします。この際に、最低65ポイントは必要です。

ステップ2;移民局が申請内容を審査して、審査をパスした者のみに、
オフィシャルな招待状がきます。

ステップ3:必要な書類を揃えて永住権申請。

と、まあ簡単なように見えますが、難関なのは、
ステップ1と2の間、ブリッジングビザは降りないのです。
つまり、「永住権を申請したいです」と意思表明しても、移民局から正式に
「はい、トライしてもいいですよ」とオファーが来ないかぎり申請できず、
ただ、ひたすら、そのオファーを待つ日々、というわけです。

*より詳しいアドバイスなどは専門家に相談してくださいね

さらに、職種によりますが、オファーしている人数枠にも上限があり、
かつ、ポイントの打ち切りもあり、高ポイントの人からオファーがおり、
その枠が埋まれば、また次回のオファーのラウンドまで、ひたすら祈って
待つ、という先の見えない、超不安なプロセスなのです。

ということは、卒業生ビザの18ヶ月期間中、必要な職務経験を積んで、
要件を満たしたころに、ステップ1をやったとしても、
卒業生ビザがあと残り数ヶ月で満了するころには、まだステップ1でウェイティングということが

十分あり得る → ビザが切れる → 次のビザがない → オーストラリアから出国

というパターン。少なくとも、私はそのケースでした。

指をくわえて待つのは不安だし、ハイリスクだし、
上記のシナリオが現実に起こり得ることもかなり可能性があって、
プランBを考えておかなければということで、
雇用先のBAYLEAFにスポンサービザの可能性はないか、
という打診をしたところ、ない話ではない様子。

1年半、ずっと真面目に働いてきたし、遅刻も病欠も一回もしたことないし、
キッチン最年長(40代は私一人〜笑)の体に鞭をうって
若いスタッフに混じって頑張ってきたことを評価してくれたのか、
スポンサーシップを前向きに検討してくれる運びとなった。

これが昨年6月の話。
以来、英語のテストも受けて(IELTSではなくコンピューターベースのPTEを受講)
必要な書類も揃えて、いつでも準備レディーな状態でいたのだけど、
主にビジネスの財務状況により、繁忙期になる9月ころまでは申請できないとのこと。

この時点でやや不安はあったけども、卒業生ビザが切れる2020年1月9日までは
まだ時間もあるし、書類も揃っているし、まあ大丈夫でしょうと
信頼していました。

そして、8月末から9月末まで日本への里帰り。4年ぶりの帰国は最高だった。

存分にリフレッシュ、リチャージして、仕事復帰して、早速ビザの話を
持ち出しても、なかなか次のアクションにつながらい。ヤキモキ。
なんだか、不安いっぱい。

エージェントとのミーティングを依頼しても
3回ドタキャンされ、このとき、すでに11半ば。

ようやくもったミーティングで話がスムーズに進んだと思ったら、
おそらく、はじめて、よくよく私のケースをみて、現在の人員構成と
ビジネススキームの中で私のポジションの確立(雇用創出)が
難しいと判断したのか、此の期に及んで、
スポンサーシップはできない
と、あっさり、言われた。

信頼と期待を一気に裏切られ、この日ばかりはさすがに号泣。
ビジネス上の判断とはいえ、私の人生がかかっている話。
このときの対応と態度に、正直がっかり。
いまでも思い出すととっても悲しい。

ビザが切れるまであと2ヶ月しかない。。
さて、どうしよう。

昔からお世話になっているロイヤーにすぐ相談したら、
「もうデファクトパートナービザしか確実な道はない」とのこと。

そうだよね…

素敵なパートナーがいるなら、最初からそうすればいいんじゃない?
と思ったかたも多いでしょう。
確かに、彼は素敵な人で、優しい理解ある人です。

でも、ことビザに関しては別。

詳しいことはあえて書きませんが、彼は以前にも同様のケースで外国人女性のパートナーを
スポンサーし、数年間別居はしていたものの、法的に正式に離婚が成立したのは
今年8月。ちなみに、オーストラリアはでは離婚するにもお金がかかり(一人千ドルとか?)
日本みたく市役所いって紙にサインして「はい、離婚成立」という簡単な
手続きではないため、離婚手続きをすぐにしない人が多いようです。

付き合い始めの頃から、「私は自力で永住権を取る」と言っていたし
彼も、もう2度とできない、やりたくない、と言っていたし、
彼頼みにはぜったいなりたくなかった。

これまで頑張ってきた自分の変なプライドもあったり、
オーストラリアに住むと決めてから自分が掲げたゴールでもあったし
なんとかしてやり遂げたかった。

でも、万事休す。

結局、彼に事情を話して(この過程も容易じゃなかった)、
デファクトビザを申請することに。

なーんだ、結局はハッピーエンドなんじゃん、
サポートしてくれる彼がいて結局はラッキーじゃん、

といえば、そうかもしれないけど、
ここに辿りつくまでに、相当なストレスと
エモーショナルなジャーニーでした。

永住権のために必要だった英語のテストも満点近く取る必要があったため
けっこう必死に毎日図書館かよって試験対策したし。
ストレスで生まれてはじめて口にヘルペスできたし(笑)

一時は、住み慣れた、この新しいホームを離れないといけないかもしれない
という不安もあったし、自分でコントロールのできないことに
左右されるのが一番ストレスフルだった。

もうこれ以上、ビザのことでいらぬストレスを溜めたくないし、
時間もない、一発で無事に申請したいと思って、
今回は、エージェントに依頼。前回の卒業生ビザと同じ
バイロンベイにある https://www.turnstonemigration.com/を利用。

オーナーのアイオは、いつも親身になってくれて、レスも超早いし
とっても信頼できる人です。

言われた書類を2週間の超特急で揃えて、
ブリッジングビザの有効書を取得

かかった費用

パートナービザ申請費用 7800ドル
弁護士費用 4000ドル
健康診断 500ドル
パートナーシップ登録 230ドル
その他諸費用で

合計13,000ドル!!

貯金がまた消えた〜(涙)

でも、まあ、とりあえず、これで、もうビザのことで悩まずに済むと思うと
ほっとしました。

振り返ってみると、最初からパートナービザを頼みにせず、
いろいろ自分で試行錯誤、苦労してからたどり着いた運命だから
よりありがたみがある。

40歳を過ぎて、はたから見れば、ふらふらしていて
夢見がちで、自由奔放で、理想主義かもしれない。

自分が描く暮らしやありたい自分と、
日本の同世代の暮らしや、社会が映し出す現実とのギャップに
少し戸惑うことはあっても、自分で決めたことだし、
自分には絶対できるんだ、という自負はあった。

自分の歳の半分ぐらいのスタッフと働き、いわゆる「プロのシェフ』としての
料理の経験値や知識では圧倒的にみんなより劣り、日本でのビジネス経験や
学歴など、別に特になんの意味をもたない。

もちろん、過去があるから、いまの私が在るわけで、
これまで経験してきた数多くのことには無駄なことは
何一つなかったと言える。

でもどこかで、自問自答していた自分がいる。
私は、ここに必要とされているんだろうか。
私は、この国にいられるんだろうか。

今回の件で改めて感じたのは、何か事象が起きたとき(特に大変な事態)、
それにどう向き合って、どう対応して、どう処理できるか
という人間力が問われるということ。

そこに関係してくるのは、その人の総合的な経験値だったり、
倫理観や道徳といった、その人の性格を形どる重要な要素。

職場に対しては正直失望して怒りもあったけど、
彼らの立場を少しでも考慮して、ご縁がなかったと思うしかない。

自力でいけなかったという自分の計画狂い、計算違いの
挫折感と敗北感はあったけども、
スポンサーシップで職場に2年間縛られないで済んだ、
自分の好きなこともできる、
新しいことにもチャレンジできる
とポジティブにとらえることで前向きな励みになった。

そして何よりも、サポートしてくれた彼にはほんとうに感謝しても感謝しきれないし、
心配してくれた両親にも感謝。

パートナービザ(永住権)が降りるまではだいたい2年弱。
料理は好きだし、いまの職場も恵まれた環境だけど、
もうシェフという職業にこだわる必要もない、縛られないので、
今年は心機一転、あらたに新しいこと、もっと自分らしいプロジェクトや
発信をしていきたいと思っています。それが何かはまだわからないけども。。

本年もどうぞよろしくお願いいたします。