greenz.jp を立ち上げて4年。
その間に私は28歳から32歳になった。
この4年間で培ってきたもの、築いてきたもの、出会った人の数、
経験してきた数々のこと、学んできたたくさんのことを、一生の財産として
いつか、いまよりももっと深く実感し、噛み締める日が来るんだと思う。
年末の大掃除をかねて、昔の写真を整理していたら、
でてくる、でてくる、若かりし頃の写真たち。
せっかくだから、センチメンタルな気分にひたりながら、
この4年間を振り返ってみる事にした。
greenz.jp メンバーの昔なつかし写真も必見ですぞ。
意外と知られていないが、greenz.jpの創刊は、2006年7月。
NPO法人BeGood Cafe のウェブ事業部として立ち上がった。
そのとき、編集長として迎えられた鈴木菜央を中心に、編集スタッフが4人採用され、
greenz.jpは、「エコスゴイ未来がやってくる!」をキャッチフレーズに
スタートをきった。
みんな若い!
私は、菜央とは実はBeGood には2006年6月の同期入社。
「海辺のエコビレッジの村長になる!」夢みたいなことをいって
サラリーマンを辞め、オーストラリアの自給自足コミュニティで農的暮らしに
インスパイアされまくり、パーマカルチャーを少し学んで帰国したばかりだった。
CSRの企画営業やエコビレッジプロジェクトを担当したくてBeGood には入社
したが、greenz の営業周りを担当する人がいなかったこともあり、
ノリで兼任する事に。
ウェブやメディアの事なんて、まーったく経験も知識もなかったのに。
BeGood では、月1回のイベントがあった。ちょうどgreen drinks のようなもの。
たくさんの素敵な人に出会えたし、多くの学びがあった。
第1回エコビレッジ国際会議のとき。海外エコビレッジからゲストも多数招聘。
それが、創刊からわずか半年の2006年12月、greenz.jp は解散することなってしまった。
そして、菜央に誘われるがままに、乗りかかった船だし、一緒に独立することになった。
*そのときの話は、昔ブログのコチラをどうぞ。
そこからは、とにかく必死に仕事を探して、なんとか二人分の給料がでるぐらいの
プロジェクトをいくつか受注できるようになっていった。この頃は、四六時中一緒にいて
三度の飯をともに食い、週末も仕事をして、食べるものも、着る服も
似てきた。おかげで、とある会社の受付嬢に
「ご夫婦ですよね?いつも服装あわせていらっしゃって素敵ですね』
と真顔でいわれたときは、さすがに笑った。
初めての大きなお仕事は、グリーンピースジャパン前事務局長 星川淳さんと一緒に
企画した、憲法9条クラブイベントpeace9.org.
若い世代に、憲法9条の意味、平和であることの大切を知ってもらう場として
クラブを貸し切り、渋谷と恵比寿の2会場で2週にわけてクラブイベントを実施。
たぶん、グリーンピースジャパンのイベントの中では、かなり異色でカケだったと思う。
でも、星川さんの粋な計らいで、自由に楽しくやらせて頂いた。
コンセプトとメッセージに賛同してくれて、出演、協力してくれたたくさんのアーティスト、
クリエイターたちに出会った。プロデューサーのMOOKYさんにはかなりお世話になったなあ。
窪塚洋介さん(aka 卍LINE(マンジライン) )
ライブの合間には、憲法9条について声高、難しく語るより、
「平和ってこういうことだよね」というシンプルなメッセージで
それぞれが思い描く平和な社会をかたりあった。
カメラマン、VJ、DJ、グラフィックデザイナーもたくさん協力してくれて、
最高の音楽と最高の空間に、たくさんの人がきてくれた
*後日談;このイベントで出会った男女二人がその後間もなく結婚したという知らせを
聞いとき、このイベントをやってほんとよかった!とおもったなあ。
友だちのエードリアンが動画もつくってくれた。
アースデイ東京のお仕事もそのひとつ。
イベント当日の状況をリアルにブログで発信する「速報ステーション」や
各界のゲストを呼んでのトークイベント、オフィシャルフリーペーパー
「地球の日の歩き方」などなど。
2007年4月アースデイ東京。最初はこじんまりと二人で。
それが、アースデイ東京自体も成長し、注目されるようになり、
スポンサーもつき、
2008年4月
大好きな二人とのトーク。
パタゴニアの篠さん(左)とノースフェイスの三浦さん(右)
2008年3月から正式にビオピオに入社したyosh
(いまはgreenz.jp 2代目編集長!)との掛け合いもテンポよく。
2009年4月
2010年4月。アースデイ東京初!当日の朝まで雪が降るという
極寒の中スタート。ソーラーパワートラック2台を設置し、トーク&ライブも豪華ゲスト。
春にアースデイがあり、夏はap bank fes @ 嬬恋というのが流れに。
ここでも、トークイベント、速報ステーションを企画、制作のお仕事を。
2008年7月。ボランティアライターを集めて、蒸し風呂のようなテントの中で、
もくもくとイベントの様子をリアルタイムに発信。
2009年7月。このときは、yosh, nao, 学生番長hiro で参戦。
速報ステーションのウェブサイトはつくりこまず、この年はシンプルに、にわかに流行はじめていたtwitter中継していました。
フィナーレの花火もあがって、全員集合だよ。
環境イベントといえば、エコプロダクツ展で「グリーンシンキングセミナー」をやらせて頂いたり、
パタゴニア日本支社主催の「tools for grassroost activists (草の根の活動家たちのためのツール会議)」@山中湖PICAを企画させて頂いて
尊敬するパタゴニアの幹部社員たちと泊まりがけで語れる機会に恵まれた。
パタゴニア日本支社を立ち上げた藤倉さんには翌年、パタゴニア本社へ取材に訪れた
とき、一緒に波乗りしたり、ご飯につれていってくれたり、とってもお世話になりました。
菜中とyosh もPICAの気もちのいい自然のなかでのんびり。
上に書いたイベントはほんの一例で、お仕事でありながら、
自分たちもかなり楽しんだものをピックアップしました。
*ちゃんとしたクライアント案件もやってましたよ、念のため(笑)
仕事を通して、こんなにもすばらしい人たちに出会えたことに感謝。
サラリーマンをやっていたら、こんな世界のひろがり、多様な価値観、
に触れる事ははなかったと思う。
イベントは、終わってしまえば過去の出来事になって、
人々の記憶は風化してしまうけど、イベント直前の緊張感や
当日のハラハラ感、そして高揚感、常にリアルでハプニングが起こる
あの感覚はやっぱりココロに刻まれていて、こうやって思い返すと、
ふっと笑みがこぼれる。
そんな仕事ができて、幸せだったなあ。
つづく〜