海も森も、やっと暖かくなってきました。
グリーンズ森の家のまわりの田んぼも田植えがおわり、蛙の合唱が響き渡っています。
気がつけば、3月のメルボルン旅行記からすっかり更新が滞ってしまいました・・・ごめんなさい。毎年この時期は、アースデイ東京にむけてグリーントークステージや速報ステーションの制作で、本番まで落ち着かないもので。今年のアースデイ東京は、史上初!?、設営日と当日の朝まで雪が降る!!というハプニングがあり、現場制作スタッフは、まるで雪山のフェスに来たような重ね着で防寒。4月だというのに、ステージに積もった雪かきから始まるアースデイなんて!!でも、開場とともに、それまで続いていた悪天候が、誰かの意地悪だったかのように、見事に晴れ渡り、澄んだ青空の下で開幕することができました。私は2日間にわたり、グリーントークステージをプロデュースさせて頂きました。今年は、7つのトークプログラム、3つのラジオ公開収録、8組のアーティストライブがあり、チームワークのすばらしい音響スタッフ、舞台監督に助けられ、なんとかこなすことができました。でも、バックステージにいることがほとんどで、やっぱり、今年もアースデイをゆっくり楽しむ、なんてことはできなかったのですけど。
全員集合!グリーントークステージの制作スタッフ、速報ステーションチーム、greenz.jpスタッフ、ボランティアスタッフ、本当にお疲れ様でした!
で、アースデイが終わってほっとしたとき、事件は起きました。
いつものように、朝起きて、家を出て、自転車に乗って、駅まで行くとき、事件は起きました。家を出て数百メートル自転車に乗ったところで、前輪に足がひっかり(どうしてそうなったかは聞かないでください・・)、体がふわっと宙に浮き、その次の瞬間、激しくコンクリートの道路に叩きつけられ、大転倒。唇を切ったせいで大量の血がしたたり、全体重が乗っかった左前腕に激痛。そんな状態なのに、わりと冷静に、10分ほど前に家を出たばかりの由和に電話。iPhone が血まみれになったのは覚えています。そして、事件の一部始終を目撃していたご近所さんに助けられていると、由和が走って戻ってきてくれ、救急車をよび、そのまま1泊入院となったのでした。検査の結果、幸い軽い打撲ですみ、脳に異常はなかったようです。ご心配ご迷惑をおかけしたみなさま、ほんとうにすみません。大厄・本厄とはいえ、このおっちょこちょいな性格、もうちょっと気をつけないといけませんね。
というわけで、全治1ヶ月の左前腕挫傷により、サーフィンもしばらくお預けです。GWは、珍しく天気も波も最高によかったというのに。かわりに、森の家にのんびり滞在し、房総の自然を満喫してきました。
もらってきた木切れをテーブルにしてみました。ここで飲む朝のコーヒーは格別においしい!
森の家付近の山林一帯は、千葉県郷土環境保全地域「清水観音の森」に指定されていて、森の中にトレイルがたくさん。
森の中をしばらく歩くと、音羽山の清水寺につながります。最近は、森の中に入って、清水寺でお参りして、山をぐるっと回って、というのがジョギングコースです。
GWの観光客や、農合コンでにぎわうブラウンズフィールでランチしたり。
昨年末生まれた子ヤギもすっかり大きくなりました
最近、いすみ市に移住した同僚、鈴木菜央家でBBQも。
初公開!?greenz.jp 編集長のご自宅。森の家と同じロックウッド社製のログハウス。
この辺りの物件も、森の家がある中滝のオーナー、グレゴリーが所有していて、住民が無料で使えるスカッシュコートがあったり、カヌーがあったり。目の前には一切人工物がなく、眼下に流れる夷隅川と緑がなんともいえません。一目で気に入ったのも納得です。
弘法大師が全国行脚の途中立ち寄り、水が無く農民が苦労しているのを見て法力により水を出したという由緒がある、名水百選の湧水、「熊野(ゆや)の清水」を汲みにいったり。
6月初旬に森の家で行うちょっとしたイベントに向けてお庭の手入れを始めてみたり。
でも、サーフィンができないと、どうもリズムが狂います。森の家があるから、海にはいけなくても、自然の中にグラウンディングできる心地のいい居場所があるからいいけど、それがなかったら、干からびてしまっていたかもしれません。いや、冗談抜きで。
先日行われた green drinks Tokyo 『Urban Survivability – 都会をサヴァイヴする力 』では、自分が生きるうえで最低限必要なモノは何か、どのくらいの水が必要なのか、電気はどこからきていて、どれぐらいあれば足りるのか、そのライフラインを保つために自分ができること、備えておくべきことは何か、といった興味深いトークが展開されましたが、脆弱な基盤の上に成り立つ都市(東京)にいると、そういう意識や感覚が鈍くなってしまいます(イベント当日の様子は、twitter をまとめたコチラからどうぞ)。
あらゆるモノや情報がものすごいスピードで流れ、消費され、ちょっと気を抜くと、キャッチアップするのにもう必死。もちろん効率性だとかスピードだとか、都会を生き抜くうえで必要なスキルではあるけれど、本当にサバイバビリティの強い人間というのは、自分にとって必要なモノ、コトは何かを見極める感覚と感性をもっていて、且つ作り出せる人なんじゃないかと思います。これは、まさに、私がオーストラリアのゆかりさんとの出会いで一番強く感じたことでした。どんなにお金持ちでも、どんなに立派な家に住んで高価で高性能なモノに囲まれた暮らしをしていても、自分で作れない、治せないモノのは、脆弱です。「自分で作れないモノは、そもそも自分の生活圏内に持ち込まないようにしているし、ソトの世界で何か起きたとしても、自分と自分の大切な人が3ヶ月は生きることのできる食糧や電気といったライフラインはある」と言っていたゆかりさんの言葉がいまでも忘れられません。電気は、水は、食べるものはどこから来てどこへ行き、どうやって循環していくのか。自分で作る知恵も技術も、道具ももっている。能書きを垂れるよりまずは行動を。そんな人たちが一番生命力に溢れ、力強く、まぶしいぐらいに、イキイキとしている、と身をもって経験したのオーストラリアの旅。その原体験が時を経ても原点であり、人生のターニングポイントだった気がします。
ひるがえって、現代の都市生活は「砂上の楼閣」。様々なものが当たり前のように提供されていて、「誰かがやってくれている」という感覚が当たり前になっています(このあたりのことは、火起名人、大西琢也さんのインタビューをどうぞ)。サステナブルな暮らしがしたい!と思っていても、まだまだその目標には程遠く、掲げている理想と現実のギャップがもどかしい。それでも、自然の中に居場所があって、自然とのかかわりを通して五感が研ぎ澄まされると、人間が本能的にもっている「生きる力」や眠っている「野生の感覚」が目覚めてきます。いつでも頼れる、何かあっても生き延びられる(と感じられる)、心のセイフティネットのような場所、しっかり自分の根をグラウンディングできるような居場所があれば、きっとみんな豊かに、力強く、優しく生きられると思います。
何はともあれ、まずは早く怪我を治して、海に復帰しなきゃ。