「帰国子女っぽいよね」と第一印象から言われることも多いですが、
はい、まさに、そのとおりです。

バブル真っ最中の1986年〜1991年、日本企業がこぞって海外に進出
していたころ、我が家も父親の転勤でロンドンに住んでいました。


当時の家。まったく変わっていなかった

ABCもわからない状態で、宇宙人にしか見えなかった青い目をした
金髪の子どもたちのいる小学校に入学し、最初のうちは学校にいくのが
こわくて怖くて、毎朝泣いていたそうです。

でも、さすが子ども。順応性ははやいものです。
言葉は通じなくても、一緒に遊ぶうちに友達が増え、
いつしか自然にとけ込み、両親曰く、英語もスラスラ
しゃべっているようになっていたそうです。


通っていた小学校、Moss Hall Primary School

人格形成において、ちょうど、7歳〜12歳(日本でいう小学校)
は、自分が本当に大事だと思う価値観を身につけるそうです。
ということは、私の価値観の大部分は、おそらくロンドン時代に
形成されたということだ。

確かに、ニッポン人ぽくない、out of box 的な思考や言動、行動
が多いのは自分でもわかっている。日本へ帰国してからは、日本のいわゆる
型にはまった考え方に自分がはまらず、人とは違う自分が何者なのか、
とアイデンティティクライシス的な悩みに、若かりし頃はぶつかったり
したけど、幼少期の原体験としていろんな価値観やカルチャーに
触れられたのは、とても有り難いことだと思う。何より
英語を不自由なく習得できたことは、あのとき、現地学校に
無理矢理でもいかせた両親のおかげで、ほんとうに感謝感謝。

1991年に帰国して以来、ロンドンへ「帰る」のは実に20年ぶりで
当時の親友Claudia の家にお世話になることになっていたから、
20年経ったいま、お互いがどう成長し、変わっているのか
楽しみでもあり、不安でもあった。

でも、やっぱり、根本の価値観は変わっていなかった。
20年経って、彼女は結婚し、2歳になる息子サミエルの母親として
専業主婦になっていたけど、相変わらず美しく、
一緒にいて心地いい、優しい性格の持ち主だった。


手前の金髪がClaudia と愛息サミエル。最近の旅は、居候タイプが多いので手料理をお礼に振る舞うことにしている


季節はハロウィーン。サミエル(一番左)と一緒にTrick or Treat でご近所まわり

旅の後半は、UKの広告代理店 HyperNaked クリエイティブディレクター、カミーラのおうちにcouch surf.
去年まで東京オフィスで働いていた彼女は、green drinks Tokyoの常連であり
greenz.jp英語サイト(いまは閉鎖してしまいましたが)のライターとしても
協力してくれていました。

マイアミ大学留学時代のハウスメイト、UK出身のローラとニッキーにも
10年ぶりに再会でき、

20年ぶりだろうが、10年ぶりだろうが、1年ぶりの再会だろうが、
人間としての大切にしたいハートの部分はみな変わってなくて、
人は出会うべくして出会ったのだから、そのつながりを大事にし、
その絆をkeep in touch する努力さえすれば
離れていた時間はあまり関係なく、色あせることもなく
心地いい関係でいられるものです。